漢字の字源と、漢字の教育
いわゆる「石井式」について
石井式については、少し興味があります(以前書いた文章→漢字は大事だとは思うけど……)。
基本的に、私は、石井式について、好意的です(などと書くと嘘臭く響くような気がするのですが、本当のことなのでしかたない)。
今度、時間がとれたら、真面目に石井式について調べてみようと思う。以下、確認したいことの覚書。
- 石井式は、本当に「実証」されているのか?
- 石井式について言及されるとき、よく「証明されている」とか「実証されている」とかの表現を目にするのだけど、どうやって「実証」しているのだろう。
- 教育というのは、「熱意」や「意欲」のような、主観的な要素の影響を大きく受けるので、「実証」するのは非常に難しいと思うのだけど。
- 石井式において「漢字の成り立ち」が、どういう意味を持っているのか。
- 例えば「1192 年、鎌倉幕府」を、多くの人は「いいくに(1192)」と覚える。この語呂合わせは、確かに歴史を覚えるの役立っているけど、「語呂合わせ」は学問でもなんでもない。
- 石井式における「漢字の成り立ち」が、単に「語呂合わせ」的なものであるならば、それは表層的には「字源」と似ているかもしれないが、本質的には別のものだと思う。「語呂合わせ」的なものを求めるのであれば、「覚え易い」ことや「合理的」なことが重要になってくるはずで、歴史的な正しさを考慮する「字源」とは別のものだと思う。
- そういう区別なしに「漢字の成り立ち」を教えたり「字源」について述べたりするのは、危険だと思う。
「漢字の覚えかた」と「漢字の成り立ち(字源)」は別だと思う
以下、「無為徒食日記」の「正字」から、「学校では教えてくれない日本語の秘密」の孫引きです(私はまだこの本を読んでいません……)。
小学生の漢字習得能力は、低学年ほど高いことが分かっています。信じられないかもしれませんが、一年間で四百から五百の漢字を読んでしまうのです。
「信じられないかもしれませんが、一年間で四百から五百」というのは、別に不思議ではないと思う。普通に信じます。これがもしポケモンの名前なら、五百匹くらいなら二、三か月もあれば覚えてしまうと思う。当たり前だと思う。
もしも、任天堂から「漢字モンスター」とかのゲームが発売されて、大流行して、そのおかげで子供たちが年間二千文字の漢字を覚えたとします。信じられないほど(?)の教育効果です。でも、教育効果が高くても、そのまま「漢字モンスターに意義がある」ということにはならないと思うのです。
「漢字モンスター」を、いまひとつ認められないのと同様に、私は石井式における「漢字の成り立ち」を、無条件に認める気にはなれません。それが教育に役立つことは、もちろん、認めます。でも、教育に役立つなら何でもいい、というわけではないと思うのです。
「漢字の成り立ち」ではなくて、「漢字の覚えかた」ということであれば、素直に認めます。もちろん「漢字モンスター」も同列に扱いますので、こちらも認めます。
「漢字の(効率的な)覚えかた」を研究するのならば、それはそれで興味を覚えるのですが、それは「字源」とはまったく別のものだと思うのです。そこはきちんと線を引いておきたいのです。
「石井式」について勉強してから出直します
いろいろ書いているけど、私は「石井式」について知らないので、私自身、あまり納得できていません。勉強して出直します。
折紙と著作権について、忘れたくないこと
年末から、「オリガミ星人」のサイトが「お休み」しています。
ええと、その、念のため書くのですが、今のところ私は、サイトの休止と著作権の問題とは、直接の関係はないと考えています。
2004 年 12 月、議論の始まり
折紙探偵団の掲示板の、03783〜03854 で、議論がありました。
この議論は 2004 年 12 月の話で、随分前の話です(私はこの議論をリアルタイムで見ていたわけではありません)。いろいろと議論が展開されています。でも、論点が微妙に食い違ったまま、掲示板での議論は終わり、メールのやりとりに移ってしまいます。結論は不明。
私としては、子供が関係しているようなので、ずっと「子供に不利にならないような形でおさまればいいのにな」と思っていました。西田シャトナーさんの書き込み 03811 とほぼ同じ考え。
2005 年 12 月上旬、まだ決着はついていなかった?
しばらく音沙汰がなかったので、それなりにおさまったのかな、と思っていたのですが、2005 年の 12 月、「現代折り紙」の「作品使用に関する注意事項」の更新(「2005/12/04追記」の部分)を読んで、まだ決着がついてなかったらしいことを知ります。折紙創作の著作権を考えている人にとっては無視できない内容だと思うのですが、折紙界隈からは(私の知る限りでは)何の反応もありません(直接は関係ないけど、そのときの私の文章→マナーに関するマナー)
2005 年 12 月下旬、サイト休止
で、「オリガミ星人」が「お休み」に入ります(アンテナの日付だと、2005 年の 12 月 24 日)。以下、引用。
勉強に集中するため、このホームページは、しばらくお休みします。
長い間、ご覧いただき、ありがとうございました。
私の思っていること
サイト休止になって、最初に思ったのが、「あれれ、著作権のことはどうなったのかな……」ということでした。でも、私自身は当事者ではないので、ひとまず様子を見ようと思いました。
でも、しばらく待っても、誰も何も言及しないようなので、逆に気になってしまいました。
なんだか、このままにしておくと、大事なことを忘れてしまいそうな気がしたので、忘れないうちに、とりあえず事実関係を記録しておこうと思い、上の文章を書きました。「大事なこと」って何なのか、実はよくわかってませんが。←駄目じゃないか。
ええと、その、最後にもう一度書くのですが、今のところ私は、サイトの休止と著作権の問題とは、直接の関係はないと考えています。
休止と著作権の関連を疑って文章を書いたのではありません。休止してサイトのコンテンツが無くなることで、問題の存在自体を忘れてしまうのが嫌だったので、文章を書いています。
リアルな折紙について思うこと
「半茶」の 060221 より引用。
創作折り紙の才能が尽きたので、というか折り紙でググるとすごい作品ばかりで圧倒されてしまってなあ。例えばここのエンシェントドラゴンとか、見るとため息しか出てこない。
以前なら、とにかく四本足と尻尾と耳があれば「すげえ、犬だ(猫だ、馬だ、豚だ狐だ熊だ)」と尊敬されたわけだけど、今はそうじゃない。いかに「美しい」犬を折るか、いかに「格好よい」犬を折るか、といったことが問題になる。
でも私個人としては、とにかく四本足と尻尾と耳があれば、といった世界のほうが、折紙らしくてよいのでは、という気もする。
リアルな折紙より、折紙らしい折紙を。とか思う。
浮世絵は、必ずしも写実的ではなくて、浮世絵独特の美しさを持っているように思う。そういった浮世絵独特の部分に興味がないなら、別に浮世絵である必要はなくて、油絵でも水彩画でもよいのだと思う。
折紙も、折紙独特の美しさを追求できたらいいのにな、と思う。そういう折紙独特の部分に興味がないなら、別に彫刻でも LEGO でもいいんじゃないかと思う。
で、「折紙独特の部分」って何だろう、と思うのだけど、まだよくわかってません。←なら偉そうなこと言うなよ。
漢字は大事だとは思うけど……
産経新聞(Sankei Web)の「【主張】国語教育 知にふたをする漢字制限」。幼少時から漢字を教えるべき、という話。
幼児の漢字習得能力は、大人が思うほど低くない。かつて石井式幼児漢字教育を創案した故石井勲博士が実証したことでもある。小学校に学年別漢字配当表を適用し六年間でわずか千字強の漢字しか教えないという漢字軽視の教育施策が、日本人の読解力の低下、従って学力低下を招いている。
故石井勲博士が「主張」した、ということならば、すんなり納得するのだけど、「故石井勲博士が実証した」とある。どうやって「実証」したのだろう。
検索したら「石井式国語教育研究会」というサイトがあった。この中の「石井方式とは」というページで統計情報らしきものがあったのだけど、読書量と語彙数との関係だった。漢字の習得については何もデータがない。知りたいのは、年齢と漢字数との関係。
こういうことは、きちんと客観的なデータを示して欲しい。幼児の漢字習得能力が低くない、というならば、実際に統計を取って、何歳までに平均何文字の漢字を習得できるのかを示すべきだ。
もっと言えば、覚えた漢字数と理解している語彙数との関係も欲しいところ。もしかしたら「漢字数と語彙数は比例しない」という可能性もある。更には「漢字数(語彙数)と学力との関係」も、なんらかの形で示して欲しい。
こういうデータを示さなくていいのなら、私にだって言える。
幼児の方程式計算能力は、大人が思うほど低くない。小学校では虫食い算算程度の方程式しか教えないという数学軽視の教育施策が、日本人の論理思考能力の低下、従って学力低下を招いている。
私個人としては、小さな子供に漢字を教えるのに特に反対はしないし、教えたら覚えるだろうとも思う。でも、教育で重要なのはバランスだと思うので、「とにかく漢字を重視すべきだ」みたいな論調には、安易に賛成できない。